時として親切心や思いやりで飾り付けた自己満足になっていないか。
数年ぶりの映画観賞へ家族で行ってきました。コロナ禍では全く候補にもあがらず、子どもたちにとっては初めてのイベントです。前日の多数決で決まったそのタイトルは『ザ・スーパーマリオーブラザーズ・ムービー』です(ちなみに投票結果は3:1でリトルマーメイドに勝利)!!!ご存じ任天堂と米国イルミネーションがコラボして作った作品で、イルミネーションは『ミニオン』の生みの親でもあります。ミニオンをご覧の方ならお分かりかもしれませんが、ストーリーはみんな大好きお約束の、おもしろハッピーエンドです。
ただ個人的に面白かったのは我らが主人公、マリオの人物設定です。映画の中でのそれを一言でいうと、正義感溢れる“ダメキャラ”なのです(笑) 正式設定の職業:配管工はそのままなのですが、例えば“キノコが苦手”であったり、家族の中ではちょっと“笑い者”扱いであったり、親父からは“呆れられている”、そしてマリオの秘めたる想いとしては世間や父親から“認められたい”という“承認欲求”があったり。なんというか、いい感じに一般人でありみんなと同じ人間臭さ漂う若者(中年?)にし上がっているため、とても感情移入しやすいのです。そういえばわたしも働き始めの頃は、遠方で一人でも立派にやって、一社会人として親父と同じ土俵で物が言えるようになりたい、と強く思ったものです。そんな青々した思い出に触れることができるコミカルな楽しい作品で、大人から子供まで十分楽しむことができました。
さて、今日はある会社を辞めることになった後輩の話です。
話を聞く中でテーマとなるのは、満たされることのない“認められたい”という想いでした。その概要はこうです。独身の内に新たな道を選択したい、と数年目にして会社を辞めた後輩。しかし実はそれは表向きの理由なのです。彼女が語った真の理由とは、「上司が自分を認めてくれない寂しさ≒上司と合わない」ということ。具体的には、要求された成果を出しても他のみんなと同じような業務分割をしてもらえない、一生懸命取り組んだ一大新規プロジェクトを立ち上げた途端に担当を変えられてしまう、別件で大きなミスをした際待機を命じられて一時当事者から外される、などなど。。。ここまでが最初に彼女から聞いたお話です。皆さんが彼女の立場ならばどのような感情を持ちますか。また上司はどのような心情で彼女(部下)に接したのでしょうか。
ではここからは後日談として聞いたお話と一部わたしの想像も踏まえた内容です。先の内容はまさに彼女(部下)目線にてとらえた上司の対応でした。ではその時、上司側の目線ではどのような想いだったのでしょう?その答えを一言でいうならば、彼女は一目置いている“手塩にかけて育てたい部下”だったそうです。「…企画力に秀でた部下だが、管理能力がまだまだ未熟。今は得意分野に磨きをかけて中長期的には総合力を身に付けてあげたいものだ。担当業務は少しウェイトを落とすことにして、今は考える自由な時間を持ってもらおう。さて素晴らしい企画であるだけにもはや一担当に任せる話ではなくなってしまった。この規模のプロジェクトはまたいずれ担当してもらうことにしよう、彼女ならこのレベルの第二第三の企画もきっと立ち上げることができるだろう。ん?大きなミスをした?ここは私と先輩で消火活動をするから、やることも特にないしひとまずゆっくり休みなさい…」、上司としてはそんな具合だったのではないでしょうか。
こうしてみてみると、彼女が会社を辞めてしまうに至るまで二人がかみ合わなかったのが不思議な気さえしてきます。ですがわたしにはそこに、お互いに最後まで満たされることのなかった“承認欲求”の空席が垣間見えました。ある書籍では自らすすんで人が行動するようになるまでを、次のようなプロセスで説明しています。 『お前の言うことはわけがわからん!とは言わせない ロジカルな話し方超入門』 著者:別所栄吾 出版ディスカヴァー・トゥエンティワン)(リンク先:楽天市場、Amazon)
それは、➀理解(ゴール、必要事項)→②納得(根拠、必要性)→③共感(価値観、事例)→④行動(自律的な)の4つです。このプロセスでいうところの②納得と③共感が二人の間では不十分だったのでしょう。そしてついには疎遠の連鎖を断ち切れなかったことには、お互いの“承認欲求”が大きくかかわります。彼女には上司の真意がわかりません。そして生まれる“認めてもらえない”疎外感や孤独感にさいなまれます。そのような心理状態では関係改善のためのコミュニケーションを取ることはできませんでした。逆に上司は部下(彼女)にとって“よかれよかれ”とおもって講じた指導がいまいち響きません。これだけ配慮しているのにどうして受け入れてくれないのか。日ごろの忙しさに加え、部下から“認めてもらえない”焦りや寂しさ、憤りから冷静さ(事の重大さ)を見失ってしまいます。ひいては原因究明のために立ち止まることを忘れてしまいます。そうしてお互いに真意を確認したり、正直な気持ちをみせたりすることができなかったのではないでしょうか。
相手の立場や関心に合わせて、、、という、さも事前にこちらで十分に考えましょう!というようなニュアンスをいろいろな場面でよく耳にします。考えることは大切です。ですがわたしが思うに実際の実務・現場レベルでは相手に頭を下げてでも直接聞いて確かめることをしない限り、いくら親切心や思いやりのもとであろうと“よかれよかれ”の行いが自己満足の域を出ることはないのです。それは仕事で見積書を一つ作るときもそう、子どもたちに親として接するときもそう、わたしの代わりに奮闘してくれる愛する妻を労わるときも同じです。いわゆるサプライズプレゼントとは全く次元と趣旨を異にするお話です。なぜなら相手をすでに100%理解しているということは物理的にあり得ないことであり、その認識は全くの思い上がりだからです。(22.01.29_さっして、さっして、は怠慢。もぜひご参照ください。)自分の気持ちが相手にしかと届いて報われるためには、自分の心が正しく(自分本位の欲求に左右されずに)相手に向いているかどうかをまず確かめ、スタートの方法を見誤らないことを心がけたいものです。
さて最後に少し余談ですが、冒頭の続きです。映画観賞といえばポップコーンでしょ!と入館前に威勢よくメニューを見たらなんと、レギュラー¥500‐、ラージサイズ¥600‐、え、高っ!!!何、さらに味付けたら+¥150‐、やと・・・!?」久しぶりのアミューズメント価格にすっかり我に返りました。しかしここは子どもたちの手前、吐いた唾は飲み込むことなかれ。各サイズ1個&レギュラーはキャラメル味付きを震えながら購入しました。すると、どちらのサイズもアホみたいな量ででてきて家族みんなで大喜び(笑)さらに観賞後に久しぶりに外食ランチするも胃の中のポップコーンのボリュームにみんなやられてしまい、まさかのランチ代が大幅圧縮。当初暴利と感じたポップコーンでしたが、一日を通してみれば結果割安に大貢献するという、コーン界のスーパーヒーローが誕生しました。その栄誉を称え、その日の晩は缶詰コーン、次の日の晩にはゆでたスイートコーンが食卓に並んだのはいうまでもありません。
今日もお付き合いありがとうございます。
ではまた。