親しき仲にこそ、手を抜きがちな“礼儀”があります。
気温がやや高め日が続いたなおかげで、残雪が公園の隅に少し残る程度になりました。とはいえ外で遊ぶには十分に寒いので、今日はからだが温まるように子供たちも食べれる甘口カレーをつくりました。うどん屋さんのカレーのようにカツオだしをしっかりきかせると、甘口ルー特有の子供じみた感じが消えるので、大人も一緒にたべれてみんなに好評です。
せっかく落ち着いたコロナの状況でも帰省を断念した大雪には今年も苦労しました。
一方でそんなずいぶん悩まされたものも時間の経過が解決してくれることが自然の
すごさと同時に摂理のようなものだと、雪から頭をだす青々した草木をみて感じます。
さて今日はわたしがしていた親しみに関する2つの勘違いについてのお話です。
さあここでいきなりの主張です。
9割以上の夫婦喧嘩は発生するメカニズムが限りなく毎回同じです。
例えば、土曜日の朝。
いつもより遅めにリビングに起きてきたことへの小言でうまれるささいな火種。
ちょっとカチンときて返した一言が想定外の延焼をまねいてしまい、
せっかくの週末が台無しになってしまった…、いかがでしょうか?
週末だけですめばまだいいほうかもしれませんね、なんて…。
その<小言>と<返した一言>に勘違いの1つ目がありました。
それは、あなただったら言わなくてもわかるでしょう、という無理難題の押しつけです。
先ほどのエピソードの情景をぜひもう一度想像してみてください。
どうして小言がうまれたのでしょうか、またなぜカチンときたのでしょうか。
そこには「どうして俺/わたしのことをわかってくれてないの?」
という感情が隠れています。
相手に言葉にしなくても伝わっているはずという勝手な期待が<手抜き>を生みます。
そして実際にはありもしない裏切りは怒りとなって相手に突撃してゆくのです…。
「あなたの考えを30秒で述べなさい。」といわれても、
わたしでしたらよほど得意なジャンルでないとすらすら準備もなしには言えません。
自分の頭の中を言葉にすることは、それだけでもとても難しい作業です。
ましてや日替わりのあらゆる出来事で左右されるのが体調や感情です。
別の考えかたと脳みそをもつ相手が、言葉もなしにまるでテレパシーのように
それらの事情ををこまかく察することができるでしょうか。
そもそも相手に親しみをもっているかどうかをいったん置いたとして、
自分都合で省略しておきながら、それ以上の対応求めることは相手に対して“失礼”です。
もう後戻りできなくなったある2人をみて、
親しき仲にこそ手を抜きがちな“礼儀”があることに気づきました。
親しみへの礼儀は、伝えかたに丁寧な心配りをすることです。
それは言いかえると、これまで思い出を積み重ねた相手に感謝して、
これからも大切にしていきたいという気持ちを示すことです。
そうして築かれていくのがゆるぎない信頼です。
信頼の強さは、相手のことを正しく理解したいというつつましい姿勢となって、
礼儀を尽くしたあなたにかえってきます。
人間ですから、うっかり伝えかたがぞんざいになってしまうときもあります。
そんなときでも生まれてくる怒りや悲しみにまどわされず、
相手への慈しみを忘れることはありません。
言葉がなくても伝わるのはそういう気持ちです。
ところで、あなたはとってもお気に入りの品物などお持ちではありませんか?
自分の手間ひまや思い入れがそそがれた大切な品物は、活力と安心をあなたのそばで
時をこえても変わらず与えてつづけてくれていると思います。
この時をこえても変わらない、というのが2つめの勘違いです。
人間自身がそうであるように、刻々と変化する人間関係は生モノです。
あれだけ仲が良かったのにトラブルで疎遠になって、気づけばもう連絡もしなくなった、なんてこともあるかと思います。
それは、風向きがかわったにもかかわず放置するうちに、
親しみは時間とともにやがてすり消えてしまういうことです。
これが自分で親しみを込めた物と人間関係が決定的に違う点かもしれません。
人間関係の親しみは手を加え続けなければ解決どころか現状維持さえできないデリケートなものだと思います。今日までの状態を約束されたセーブポイントなどないのです。
…なんだか少しだけ目の前のお相手が大切に思えてきませんか?
そうはいってもは面と向かって話すとなるとハードル高いな、と思われたあなた。
きっかけ作りのおすすめは、なにくわぬ顔でコンビニスイーツを買って帰ることです。
お値段のわりにハイクオリティでありながら、コンビニならではの話題性の高さと敷居の低さが、肩ひじ張らない時間とお相手のこころのゆとりをアシストしてくれることと思います。
ちなみに夫婦喧嘩は勝った次の日から実質ずっと負けです。ぜひ引き分けましょう。
今日もお付き合いありがとうございます。
ではまた。