結局最後は“運任せ”ということです。…わたしがこれからどうするか。
願わくば、“心地よい人に、なりたい”です。
今朝の血液検査で投薬基準を無事クリア(ヘモグロビンの値が9ポイント以上)できていることが分かったので、午後から予定通りの新薬投与ということになりました。昨日から入院していますが、家族や親戚はもちろんのこと、病院の顔を合わす看護師のみなさんからも「いよいよやねー!がんばってねー!」といった励ましの言葉をいただきました。あと特殊な事情として、投与予定のトラベクテジンとイリノテカンという抗がん剤の二剤併用の投与方法が日本国内では初めてということがあります。なので聞くと当院の医療者サイドは少しざわざわしたり(笑)。いつも以上に気にかけてくださっているようです。なんだか投薬前からすでに治療効果があるのではと思うぐらい十分な何かを得た、腹八分目な感覚でいれることにまた幸福を感じています。
抗がん剤にはものすごい個人差があるものの副作用の懸念があります。また薬物療法(※1)のみが、保険適応になる標準治療(※2)だというわたしのような病状の患者には、全てとは言いませんが今後の人生の時間を大きく左右する結果を伴うイベントであることは確かです。(※1薬物療法:薬によってがん細胞を攻撃する治療方法。※2標準治療:科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療。引用HP:がん情報サービス、こちらのサイトは医療者も推奨する情報源です。)やはり治療の1週間前とその日が迫ってくると、どうしても不安でそわそわ…。なかなか日常の生活が手につかないという状態になっていました。
発表や試合、商談、みんなが経験あることでいえば入試などがそうでしょうか。自分へ与える影響が大きいほど、あるいはそのイベントが希少であればあるほど、その直前は緊張するものです。視野が狭くなりがちなので、「これで人生が決まってしまう‼」という押しつぶされそうな重圧に見舞われることさえあるかもしれません。おおよそ怖れているのは何かというと、それは自分に不都合な結果、いわゆる失敗です。成功したい、できれば一発で。また損害は少しも被りたくない、というのがきっと自然なホンネでしょう。ですが、冷静に考えれば分かることがあります。例えば、競争の場合は他者がいます。あるいは発表などの自分だけのイベントでもミスや相手のコンディションなどあらゆる変数との兼ね合いが存在します。つまり失敗するか成功するかは、コントロール不可能だというのが事実です。
そんな身も蓋もない…。それでは何のために練習したり準備したりするのか?意味なくないか?となりそうですが、もちろんそんなことはありません。繰り返しになりますが、他者は決して変えれないように、コントロールできることは常に自分自身のことです。つまり、失敗しようが成功しようがどっちに転んでもいいように準備すること、これが練習の真の効用だということです。これを間違えるから、試合には勝っても選手の心が壊れるような悲しい事件が起きるわけです。わたしに訪れたそわそわ(不安)の正体は、この準備不足に他なりませんでした。
こんな思いで、直前の一週間はがん(癌)の情報、治療法の情報を漁り倒しました。ちょっと目を離せば、不都合な事実を拒否して甘い情報ばかりにたかろうとする愚かなアタマをなだめるように、ノートとボールペンを駆使しながら取り組みました。しかしこれが寝る間も惜しんで丸1週間もかかりました。なぜこうも漁り倒す必要があったのでしょうか。最近危険な情報の氾濫に警鐘が鳴らされるものの、情報リテラシーがある程度あればインチキ情報を避けてサクッと求める情報の概要をつかむことは可能なはずです。
これが次なるポイント、過去の実体験が準備の適切な質と量を決定する、ということです。ところで、次の抗がん剤がわたしにとっては6パターン目になります。ただ、今回のように毎回前向きな変更を重ねてきたわけではありません。どちらかというと逆で後ろ向きな理由ばかりでした。これまでの闘病期間は22年5月~現在24年2月のおおよそ21か月ですが、そのうち1~3パターンの薬を試したおよそ6か月間(特に2~3パターン)は薬の効果がありませんでした。そしてその後の2パターンで幸い効果が認められ残りの15か月を過ごしました。しかし、6か月の間の衰弱はすさまじく、それ以降2倍以上の月日を費やしてもまだ元の状態に戻れないのが現状です。おそらくですがあくまでわたしの個人的なケースとして、3回連続で薬の効果を外すと悪液質というがん(癌)特有の衰弱に体がもたないでしょう。主治医からは(信頼関係の下で)トライ&エラーとよく言われますが、スリーエラーで、わたしは文字通りエンドなわけです。
そんな強烈な体験を持つことで、相応の情報の質と量を準備に求めるのだと感じます。質は信憑性や正確性です。質が求められるのは、強烈な体験ほど周囲への影響の度合いも強くなるからです。意図せずとも強く働きかけてしまったたり勧めたり、それを唯一の真実だというような表現になってしまったり、また周囲も仲の良い身内だからこそ受け止めるリテラシーが下がりがちになったりします。仮に正確性を欠けば、培った信頼関係や意図しない第三者に重大な悪影響を後々及ぼす危険性があります。今回はネットだけでなく信頼できるその道の専門家(主治医)からの情報も大いに助力となったことは言うまでもありません。
次に量は、自分自身の経験で真実となった固定観念を必要に応じて修正できるほどのパワーが情報に求められるからです。やはり経験は心の奥底に刻み付けられています。表面上は大丈夫だと思っていても、夜眠れなくなったりといった体の状態に発現することがあります。そのうえ特に恐怖が背景にあるとトラウマのように冷静さを失い、ついつい正しさよりも都合の良い、心に響きやすい情報に飛びつきがちです。その検証で自分自身を安心させて、さらに客観性をもたせて理解するためには、それなりの納得に値する情報量のもと、疎かになりがちな妥当性も確認することが偏った判断を遠ざけることに繋がります。
最後に、この1週間がん(癌)や治療法について情報収集をしてわたしなりにわかったことと、そのうえでどうするかをお話をします。簡潔に言うと、結局最後は“運任せ”ということです。次に周囲の助力と本人の努力が同位といったところでしょうか。今回の抗がん剤の効果が成功することにこしたことはありません。しかし、それすらわたしの人生を豊かにするための手段に過ぎません。治療の成功、もっと言えばがん(癌)の縮小すら人生を豊かにする目的にはなり得ないということです。この記事に画像を2枚アップロードしています。この景色がわたしにとっての目的だと、再確認することができました。そして、その目的は1人では決して成立しません。努力する姿が周囲に役立つ影響を及ぼし、さまざまな立場から助力してくださる人たちはその自らの行動に誇りをもっていただけるように、そして人に付いて回る運の方から近づくほど受け入れられるように、わたしがこれからどうするか。願わくば、“心地よい人に、なりたい”です。
さて、一気に書き上げましたので推敲添削箇所がたくさんありそうですが、そのままアップロードすることにします。これで間もなく始まる治療に、心置きなく臨めます。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。