24.5.16【がん患者の“生”話を聞きたいとき。】_症状&治療編(前半)

冷淡で無常_がんという病

がんの治療は途中経過であり、決してゴールにはなり得ない

久しぶりにブログのサイトを開いて向き合う気になったのは、GW(ゴールデンウィーク)最終日でした。GWに入るまでの直近1か月強の間、新薬の副作用の強烈さにずいぶん参ってしまい、普通の日常生活からは少し遠ざかった日々が続いておりました。また勤務形態の見直しのタイミングと重なって、わたしの社員資格について大きな変化がもたらされる可能性もある中で、お恥ずかしながら気持ちと身体ををPCに向かわせる活力が損なわれておりました。前回の投稿からしばらく期間が空いてしまったのはそんなわけです。

ところが今回救いとなったのがGWです。思い返せば、昨年の今頃はフラフラになりながらへばりつくように車椅子に乗り、家族みんなに文字通り支えてもらって敢行したミッション・遊園地が遠い日のよう…。当時のお出かけイベントはまさに体調と転倒の危険にさらされたサバイバルの様相を毎回呈していました。ところが今年はどうでしょう。わたしを支えるお供は祖父譲りの杖、これ一本です。これは最近知ったのですが、血液検査の結果から残りの寿命を判断する計算式(YouTubeの『がん情報チャンネル・外科医 佐藤のりひろ』より)があるとのこと。それによると、当時(23年初頃)の状況は3か月以内の死亡が統計的には現実的だったとのこと…。まぁそうだろうな、と今でこそ納得感すらありますが、まさに死線を越えて回復を続けることができたこの一年でした。導かれるように連なる数々の積み重ねは、今年のGWを楽しみ尽くした証拠のように心地よい疲労感として染みわたっております。またショッピングモールの平和な景色に自身も一員として紛れられているような“普通さ”と言いましょうか。そんな場面が目の前に幾度も広がる機会もあいまってGWはそれは安息の時間となりました。

 さて、幸いにも回復傾向が継続中ということで、今回はこれまでの症状や治療について振り返りをしてみます。身近にがん(癌)の方がいらっしゃる方におかれましては、がん患者のいち参考事例としてご活用くだされば本望です。

 これまでの闘病生活は大きく4つのフェーズ(時期)にわけることができるように思います。病気が見つかるまでの①発見期、病に侵されていく②悪化期、治療が奏功して悪化に歯止めをかける③転換期、そして治療が軌道に乗り始める④回復期、です。

①発見期 “原因特定”をなおざりにしない!正確な情報をできる限り収集

2022年3月、発端は見慣れぬ蕁麻疹と継続する腹部の鈍痛です。明らかにこれまで経験したことのない症状です。ただ、日常に差し障るほどの程度ではありませんでした。しかし、なんだか気持ち悪いなと思い通院を継続したことが幸いしました。なかなか消えない腹部の鈍痛で受診した胃腸科で胃カメラまでしましたが原因は特定できず。すると院長が大きな病院で調べるべきと進言してくれました。さらにこのときに原因究明を親身に行ってくれる医者に確実に担当してもらえる病院へ紹介してくれたのがこれまた幸いしました。今のわたしこうして生きているのは信頼できる主治医に出会えたこと、この事実の裏付けは計り知れません。

なお、人間ドックに行っておれば、もっと早く見つけれたのか?という疑問をぶつけたことがあります。返答はわたしのケースでは希少過ぎて見つからないとのこと。人間ドックは精密なイメージですが、あくまでも検査は比較的打率の高い(罹患率の高い)病気の検出のためであり、希少になるとそのための珍しい検査をする必要があり、事前発見の期待はできないそうです。となると、頼りになる発見のサインはあなたが感じる症状だけです。どうかご自身の身体が発する症状をその強弱で自己判断せず、普段感じない兆候であるほど特に注意して原因究明に努められることをおすすめいたします。

また病気が発覚したころは、がん(癌)のようにインパクトが大きい病気であるほど、身内がてんてこまいになりがちです。みんなが心配と善意からあらゆる情報を引っ張ってくれます。ただし、ここで注意が必要なのは、“毒性”の高い情報も世の中には大変多いということです。毒性が高いというのは、その不適切な情報のせいで、適切な治療を受ける時間と体力とお金を害されるということです。「何もしないよりはなんでもやったほうがいい。」がん(癌)界隈ではよく目にする言葉です。気持ちを前向きにしてくれるメンタリティを促す姿勢でありながらも、危惧されるのが何かを選択することは何かを捨てることと同義ということと心得る必要があるでしょう。次の②悪化期の恐ろしいがんの進行スピード感を前にすれば、選択の重みと前のめりの気持ちだけではこの病気とは付き合えないことがよくお分かりになると思います。

②悪化期 症状の一進一退に一喜一憂しない。死や生と自分なりの向き会う

24年6月現在で累計6パターンの抗がん剤を投与しました。しかし、抗がん効果があったのは4~6剤目でした。そのため薬の効果が芳しくない1~3剤目の投与期間が当期に該当します。この時期はがん細胞(腫瘍)が活発に活動しており、体力がどんどん奪われ、体に望ましくない症状がどんどん出てくる時期です。
具体的におおよそ時系列に羅列してみます。
腹水(1週間に最大7リットル)で妊婦のような体形になり、
胸水が溜まることによる呼吸障害(23年10&12月に胸水穿刺&胸膜癒着治療するも呼吸器機能障害3級)が発生し、
・下肢や陰部の浮腫(腫瘍の下大静脈圧迫、アルブミン不足)による歩行障害&痛み
・身動きができないことによる床ずれ
腫瘍そのものによる疼痛&突発的な激痛(医療麻薬により緩和対策中)が続き、
抗がん剤の副作用による白血球減少(免疫力低下による感染症等の重症化に警戒)がしばしば、
・全身脱毛(頭部については坊主にしてむしろスッキリ!)に感謝(?)し、
悪液質という栄養障害による激やせ(脂肪はもちろん、筋力まで低下し歩行不能車いす生活、排泄など生活必須動作が単独では不能)で頬骨が浮き上がるほどになり、
・同じく悪液質による食欲不振で生きる楽しみの1つを喪失したり、(この症状のときに栄養が大事と無理にor強く食べるように勧められるのはNGです!なので作り手もいっそ肩の力を抜いて料理しましょう。食べれるならカップラーメンでもいいんです。パートナーとの信頼関係を損なう要因にすらなり得ますのでどうか焦らないで…。)、
医療用麻薬の副作用による傾眠傾向(人と会話中でも寝てしまうほど)、
謎の聴覚障害(詰まったようで音がマイクのように響いて聞こえる。かなりストレスフル症状)、
巨大な水膨れとただれが両膝から足先にかけての全域に広がり、まるで足がぐちょぐちょに腐ったバイオハザード状態となる激痛のこれまた謎症状(時期としては③回復期にて発症。おそらく栄養不足が要因?)
アドリアマイシン(抗がん剤)の副作用による心不全、等々…。
だいたい大きな症状だけでざっくりこんな感じでしょうか。細かいものでは、筋力低下のせいで鼻をかむ力もなくなり溜まった痰が自分で切れず気持ち悪いとか、脂肪が削ぎ落ちて座るときに骨ばった尻が痛いとか、痒いのに自由にかけないとか…。

「わたしって辛い!頑張ってるでしょ!」的なアピールなどではなく、これらは単なる事実の羅列です。お伝えしたいのは“症状に一喜一憂しない”大切さです。たかだが体内にできたデカいイボのせいでこんな風に謎めいたものも含めて望まない症状は次から次へと巻き起こります。ですので、長丁場の患者生活の折々でいちいち感情移入していたらキリがありません。闘病生活は痛く苦しいから“闘う”という字がきっと充てられるのでしょう。一方でわたしたちのメンタルは自分で期待するほどそんなに強くないものです。早々に開き直りましょう!“いらっしゃいませ!”“次のゲームLevelは低?中?高?”ぐらいで向かう心理を強くおすすめします(※注:ただし、健康な方ががん患者さんにそうしなさいと言うとおそらく気を害されるので、蛇足ですがお伝え方はどうぞご留意ください)。
ふとした1人だけの深夜。全力で寝返りを打とうと息を荒げ身悶えする自分の姿がまるで芋虫のようでしばらく動く気力を失いました。それでもそんなセンチメンタルに打ちひしがれる姿に思いをはせても仕方ないのです。

さて続きましてがんの“治療”について触れていきます。各症状に対しての対処処置は先の羅列の括弧内で書きました。ここでは本丸のがん細胞消滅への対処療法についてです。わたしのがん(DSRCT:線維形成性小細胞腫瘍)のケースは特殊で希少なため、初期段階から腹膜播種になっていました。腹膜内にがん細胞が種をまくがごとく無数に散らばっており、腹水中にもがん細胞がうようよした状態にあります。そのため一般的には外科手術ができないケースとなります(仮に手術した場合、傷口から他の臓器に転移したり、開けた腹が閉じられなくなったり、「すべての腫瘍を取り除く」という外科手術のそもそもの大前提となる目的を達成できないなど、基本的に他に差し迫る理由がない限りは手術しない)。また放射線治療もお聞きされたことと思いますが、こちらは施工箇所が多数で大きいうえ、面積も広すぎるため、こちらも同じく適していないようです(小サイズ&狭面積が◎)。

以上の理由からわたしの治療は化学療法という抗がん剤(薬剤)による治療一本のメニューになるわけです。手術に対しては密かにビビッておりましたので、これはある意味結果オーライだったり(内緒)。
ところで、皆さんにお聞きします。この化学療法について、効果の有無はどのような基準をもって判断するでしょうか?また有効性の判断にはどの程度の期間を要するのでしょうか?…もしかすると、これはちょっと意外な印象を持たれるかもしれませんね。

では早速ながら答えです。まず効果は“腫瘍が大きくなっていなければ効果あり”と判断します。そして要する期間はおおよそ2~3か月で、治療薬によりますが3クール程度投与した後にCT等で様子をみます。どうにも抗がん剤は投与してからその効果が表れるまでにはそれなりに時間がかかり、その長短も個人差これに極まれりの代表例と言っても過言ではないのです。

いかがでしょうか。小さくならなくても現状維持で“効果あり”の判定なのです。わたしはそうだったのですが、正直ちょっと肩透かし感がありませんか?(笑)小さくならなくても効果ありなの?それじゃあ治らないじゃない!と。今はしっくり腹落ちしていますがこれは裏を返せば、何も施さなければがん細胞はものすごいスピードでどんどんと増殖してゆく代物なのです。
そんな凶悪な性質のせいでこの結果を待つ2~3か月という期間含め、例えば近い未来に対する時間のとらえ方が皆さんとがん患者との間では“生きる”という点に置いて少々差が生じる得る要因となります。先ほど上の症状一覧で筋力低下を挙げました。わたしのケースでいえば、全く歩けない(というか、ベッドから自力で起き上がれもできない)という程度で体幹機能障害1級となりました。これは正しくは筋力“喪失”という感覚が実際のところに近く、このようになるまでの期間は22年8月~10月の約2か月弱でした。皆さんの感覚の60日を切る時間をぜひ想像してみてください。ある日突然下半身に鉛の鎧でも付けたかのような感覚が始まり、季節の移り変わりと並んであれよあれよという間に…です。

「いやいや、ちょっと待って。こんな大変なときに一体何してたの!?」と言われそうですよね。もちろんただ傍観していたわけではありません。あの頃はちょうど初回の薬の効果がこれ以上望めなくなり、2、3番目の薬の効果を検証している期間だったのです。特に遺伝子パネル検査という有効な薬の手がかりを知る検査に基づいて選定された3番目に関しては、期待と不安が入り混じれども信じて続けるしかない中でのこの仕打ちでした。効果のある薬が見つからない限り確実に死にます。愛する家族と横になって歩く時間すら戻れない遠い過去となり果てた現実の景色は控えめに言って残酷です。祈るように合わせたわたしの薄くなった両手を冷たく包むように、はっきりと死の手応えを刻み付けられた出来事となりました。


このように常に死を身近に置きながらの治療生活を続けなければならない、これはがん患者のマスト要件です。自由やできることは確かに減っていきます。でもその反面、何もしない時間を活用すれば自分と向き合えるひと時も増えていきます。死へ吸い込まれるようで現実に向き合い考えることは恐ろしいかもしれません。恐怖のあまり叫びだしそうになるのを必死に抑えながら過ごす時間など、まとわりつく孤独と絶望になぶられるようです。それでもなのです。この行いはあなたの心の原点であり、心と表裏一体の体の原点とも言えます。わたしは病気が発覚する直前にうつ(鬱)症状の治療が並行しており、こうした事柄をトレーニングの一環で考えることが多かったのが、後に奏功したように感じます。本来は健康であろうともこうした自問自答の着手に至る機会は多々あるところが、ついつい日常に忙殺されがちなのが世の常です。それを幸か不幸か病気が物理的なきっかけとなって、あなたを立ち止まらせることになります。

苦しく辛い時のことを思い起こしてみてください。ずーっと続いていくこの膨大な“生”の時間、100年人生とも言える期間は876,000時間。果たしてあなたは“生き抜くことに耐えられますか”?幸福な時間を過ごせるかという不安?あるいは山あり谷ありの時間をそもそもこなし切る気力の行方とは?はたまた何も成し遂げず存在が消えてしまうことへの虚無感や焦燥感?そんな問答も想像に難くありません。死と隣り合わせの病の方々が、ユーチューバーになられたり、何か団体を立ち上げられたり、本を執筆されたり、生きた証を残そうと必死に駆け抜け奔走するバイタリティの核心には、死さえ上回る最も忌み嫌う何かへの抵抗かもしれません。ある医者はこのようにお話されています。抗がん剤治療の第一の目標はQOL(クオリティー・オブ・ライフ)の維持(副作用などの生活阻害要因への対策)であり、がんを小さくすることではないということ(参照:がん防災チャンネル・現役がん治療医・押川勝太郎)。がんの治療は途中経過であり、決してゴールにはなり得ない、それがよく分かるご提唱だと理解しています。

面白いことに、生き死にについて考える中で得ていく心得や法則は、日々の何気ない生活の中でも活きるあらゆることに共通する傾向があるように思えてきます。このブログで触れている話題など最近はだいたいそうです。きっと一見大それて聞こえても、その実はとっても泥臭い生活臭が鼻を突きそうになるテーマなのでしょう。たまにのいい機会です。治療や症状がどうこうの前に(仮に健康体そのものな方であっても、コーヒー片手にリラックスして)それぞれの“わたし”の生と死について熟考と整理整頓をしてみるのはいかがでしょうか。誰かとの対話の中でも、一人の時間でも構いません。例えば、あなたにとって最も苦しいこと?幸せってどんなとき?生きることに意味はある?いかんせんこの手の話は文字に起こすと、ちょっと怪しげな問答やにわか教義のようなスピリチュルが醸し出されてしまうのはなぜ!?(汗笑)。それでも、わたしは知りました。辛く幸ある“生”にも“死”にも必要以上に怯えずに済む、おのおのの足で歩む道を照らすしるべとなって、あなたを安寧に導くことでしょう。

気が付けば、またしてもそこそこの長編回になってしまいました。
③転換期、④回復期は後半に続きます。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。

それでも辛抱強い愛情に支えられて_花言葉

 

投稿者:

buoyutto_jin

For. My Reader... 1990年生まれ/神戸出身/心身ともに男性/4人家族子供2人(男女比2:2)。 家族からの呼び名はダウアン。(キッズ達により命名) 社会人9年目の2021年にうつ症状で休職2か月。再発対策でブログの開設を思い立ちました。回復して働き出すも束の間、まさかの翌年6月に5年生存率15%以下の希少癌が発覚(ブログに記載あり:My Home Is Sweet.)。以後、闘病生活にいそしんでいます。 それでも、わたしは幸せです。日々幸せは心の持ちようでいかようにも決まります。そんなわたしの心の軌跡をここに書き残します。   For. My Family... いつか読んでほしいけど、本当は読んでほしくない。 読まずとも幸せに過ごす毎日を願って綴る、未来の我が子へおくる父のバイブル。

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