23.1.19【すべてが嫌になったとき。】_My Home Is Sweet.

夜明けに向かう夢_娘の手作り

“明けない夜はない”。わたしは、必ず家に帰る。

 新年おめでとうございます。随分ご無沙汰となりました。皆さんは年越しをいかがお過ごしでしたでしょうか?

わたしの年越しは、近年感じるぬるっとした、いつの間にか終わっているいたって平穏なものでした。おせち料理のつまみ食いに始まり、レンジであぶったカリッカリの海老天が乗る大好きな年越しそばを親戚一同囲んで夕食…。なんといっても普通がやっぱり一番だなぁなんて頭上を仰ぎ見るのは、わたしもずいぶんイイ歳になってきたということなんでしょうか。

ただ今回の年越しはわたしにとっても家族にとっても、今までと一味違うものでした。なぜなら、昨年4月にがんに侵されていることが判明したからです。

直接お会いできない方々にもこの場を活用してご報告の機会とさせていただきたいと思います。

病名:原発不明がんによるがん性腹膜炎 また線維形成性小細胞腫瘍(desmoplastic small round cell tumor, DSRCT)の可能性が濃厚

このように診断されました。

簡単に説明すると、腹膜というおなかの袋の中に腫瘍である肉腫(がん)が無数に発生している腹膜播種といわれる状態にあります。腹膜には炎症などを理由に腹水が大量に溜まるため、見た目は臨月の妊婦のようになり、下肢のむくみによる運動機能障害、呼吸器障害、がん細胞転移などを引き起こします。原因は特定の遺伝子の突然変異のようです。そしてこのDSRCTというのは、がん(癌)の最初の発生場所(原発)が腹膜という、とても希少ながんで世界でも200例以上あるかどうからしく…。日本では数十例あるかどうかとのことです。そのためまだ確立した治療法がないというのが現実です。

幸いにも食事が経口摂取できていて、その他の主要臓器は浸食されていないことから、すぐに大事に至ることはないと思われます。上記のように事実を書くとどうしても危機的に聞こえがちですが、僭越ながらどうかご心配なさらないでください。判明した時こそまだ情報不足で今年持つかどうかもわからないなどのニュアンスもあったり、その衝撃に思わず涙したこともありましたが…。いずれにせよ現在はもはや一人ではトイレはおろか、立つことさえできなくなってしまったということで、日常の変化の大きさを思い知らされます。

さて、そうして始まった22年4月からの闘病生活です。そこでわたし気づいたことがあります。どうして“闘病”というのでしょうか?おそらくですが、答えは痛くて辛いからです。そう、とにかくめちゃくちゃ痛いんです。わたしは治療として、腹水穿刺、胸水穿刺、胸膜癒着を主に行いました。このうち胸水穿刺は肋骨の間から管を入れ胸膜を刺して水を抜きます。そのドレンという管の場所がもう刃物で刺されているのかというような激痛、息も絶え絶えで汗をかきながら丸一日を過ごしました。あまりの痛みに記憶があいまいなぐらいです。またがん腫瘍そのものによる刺すような痛みでも同様に冷や汗をかきながらピクリとも動けない時間を過ごしました。


どうして、どうして、どうして______。

説明のつくことからつかないことまでいろんな“どうして”が押し寄せてきました。ケースや程度は違えども、生きていればあるものです。すべてが嫌になったとき。考えるうちにどんどん心と体が機能を失ってゆき、次第に切り替わるように全てが恨めしいというじめついた意識だけに収束してゆきそうになります。でもちょっと待って。ほんの気休めで構いません。そんなときのためにある、世の中のこんな法則をふと唱えてみてください。

“明けない夜はない”。

わたしは、必ず家に帰る。あのときもそう何度も唱えてみました。じぶんは父ちゃんであるということを胸に刻み直しました。そうして距離感の掴めないところにある退院の日をまさに夢に見て1日の1時間ごとを踏ん張りました。するとどうでしょう。法則なので当たり前かもしれませんが、どれだけ真っ暗に見えた夜でも、たしかにちゃんと明けてくれました。

幸いなことにいったん今回は、わたしの望む形に恵まれ夜明けを迎えました。ただし本来はどのような幕引きかは、終わりが始まるまで分かり得ません。約束事は単に終わらない時間など決してないことだけだからです当然、ときに惨たらしい法則と化すやもしれません。昔のわたしならば、それを忌避的に捉えたことは想像に難くありません。ですが極夜のごとき日々を振り返る今ならば、それでも感謝を惜しむことはきっと無いように、わたしはこの先も予感しています。

さて、現在は新たな抗がん剤にトライしながら、家で日々を過ごしています。そちらが効いてくれることを切に願うばかりです。ですが、病は気から。お薬頼みにならず自分の気概をしっかり持つようにしていきたいものです。

本日もお付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。

〜おまけ〜 24.5.17 本文編集&おまけ追記

がんの宣告を受けたとき、心境をとあるコミュニティサイトに書き残していました。当時の臨場感をよりお伝えできるかもしれません。いつか皆さんの身近でがん患者の方に出会ったときに少しのお役に立てれば本望です。殴り書き(打ち?)した文章で雑なところはご了承ください。(がん患者のコミュニティサイト/5YEARS )

突然の腹部の鈍痛から始まる。町医者にかかるも原因不明で、念のためにと大きな病院を紹介される。すると徐々に腹部が膨らんできて、妊婦みたいと妻とふざけ合っていた。しかし、紹介先の主治医からじっくり腰を据えて調べるべきだと伝えられる。
それから造影CTやPET検査など聞いたこともない検査が続いた。待合室で一緒の妻の前では不安じゃない風に茶化して笑いにしていた。一通りの検査が終わるころには、がんの確率が高いもののまだ望みはあるという段階だった。家族も身内も皆がただの炎症に違いないと励ましてくれた。
生検開腹手術をする事になるもコロナにかかったことで、手術は取り止め腹水を検体とすることに。そうして検査したところ病室で原発不明がんで腹膜播種の状態だと書面と共に告げられた。またこの先何があってもおかしくない、寿命についてもなんとも言えないとも。
不思議と真っ先に妻の顔が浮かんだ。しかし今回は笑いにできる気がしなかった。妻にどんな顔をしてどう説明したらよいかを考えた。すると昨日までの楽しかった日々の映像が次から次へと波のように押し寄せてきた。一方、対照的に明日からのことを思うと灰色の更地のような気持ちになり、映像も全く浮かばなかった。すでに涙が止まらなかった。とにかく申し訳なくて、同じぐらい悔しかった。辛くて流す涙はこれで最後にすると誓って、なんとか踏みとどまり正気を保てた。

 

必ず晴れる_夜明け

 

投稿者:

buoyutto_jin

For. My Reader... 1990年生まれ/神戸出身/心身ともに男性/4人家族子供2人(男女比2:2)。 家族からの呼び名はダウアン。(キッズ達により命名) 社会人9年目の2021年にうつ症状で休職2か月。再発対策でブログの開設を思い立ちました。回復して働き出すも束の間、まさかの翌年6月に5年生存率15%以下の希少癌が発覚(ブログに記載あり:My Home Is Sweet.)。以後、闘病生活にいそしんでいます。 それでも、わたしは幸せです。日々幸せは心の持ちようでいかようにも決まります。そんなわたしの心の軌跡をここに書き残します。   For. My Family... いつか読んでほしいけど、本当は読んでほしくない。 読まずとも幸せに過ごす毎日を願って綴る、未来の我が子へおくる父のバイブル。

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