
明けない夜はない。わたしは、必ず家に帰る。
新年おめでとうございます。随分ご無沙汰となりました。皆さんは年越しをいかがお過ごしでしたでしょうか?
わたしの年越しは、近年感じるぬるっとした、いつの間にか終わっているいたって平穏なものでした。おせち料理のつまみ食いに始まり、レンジであぶったカリッカリの海老天が乗る大好きな年越しそばを親戚一同囲んでの夕食…。なんといっても普通がやっぱり一番だなぁなんて頭上を仰ぎ見るのは、わたしもずいぶんイイ歳になってきたということなんでしょうか。
ただ今回の年越しはわたしにとっても家族にとっても、今までと一味違うものでした。なぜなら、昨年4月にがんに侵されていることが判明したからです。
この場を活用して直接お会いできない方々にも報告の機会とさせていただきたいと思います。
病名:原発不明がんによるがん性腹膜炎 また線維形成性小細胞腫瘍(desmoplastic small round cell tumor, DSRCT)の可能性が濃厚
このように診断されました。
簡単に説明すると、腹膜というおなかの袋の中に肉腫(がん)が無数に発生しているという状態です。腹膜には腹水もたまるため、見た目は臨月の妊婦のようになり、下肢のむくみによる運動機能障害、呼吸器障害、がん細胞転移などを引き起こします。原因は特定の遺伝子の突然変異のようです。そしてこのDSRCTというのはとても希少ながんで世界でも200例以上あるかどうか日本では数十例あるかどうかとうものです。そのためまだ確立した治療法がないというのが現実です。
幸いにも食事が経口摂取できていて、その他の主要臓器は浸食されていないことから、すぐに大事に至ることはないと思われます。上記のように事実を書くとどうしても危機的に聞こえがちですが、どうかご心配なさらないでください。判明した時こそまだ情報不足で今年持つかどうかもわからない衝撃に思わず涙したこともありましたが…。いずれにせよ現在はもはや一人ではトイレはおろか立つことさえできなくなってしまった日常の変化はとても大きいものであるのは事実です。
さて、そうして始まった22年4月からの闘病生活です。そこでわたし気づいたことがあります。どうして“闘病”というのでしょうか?おそらくですが、答えは痛くて辛いからです。そうめちゃくちゃ痛いんです。わたしは治療として、腹水穿刺、胸水穿刺、胸膜癒着を主に行いました。このうち胸水穿刺は肋骨の間から管を入れ胸膜を刺して水を抜きます。そのドレンという管の場所がもう刃物で刺されているのかというような激痛、息も絶え絶えで汗をかきながら丸一日を過ごしました。あまりの痛みに記憶があいまいなぐらいです。またがん腫瘍そのものによる刺すような痛みでも同様に冷や汗をかきながらピクリとも動けない時間を過ごしました。
どうして、どうして、どうして______。
説明のつくことからつかないことまでいろんなどうしてが押し寄せてきました。そしてそんなときは
“明けない夜はない。わたしは、必ず家に帰る。”と何度も唱え、父ちゃん退院を夢見て踏ん張りました。すると当たり前かもしれませんが、どれだけ真っ暗な夜でもちゃんと明けてくれました。
現在は新たな抗がん剤にトライしながら、家で過ごしています。そちらが効いてくれることを願うばかりです。ですが、病は気から。お薬頼みにならず自分の気持ちをしっかり持つようにしていきたいものですね。
本日もお付き合いいただきありがとうございます。
ではまた。


